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中国の世界遺産「兵馬俑」は始皇帝の偉大さの象徴


中国の世界遺産「兵馬俑(へいばよう)」は、
秦の始皇帝の陵墓の周辺に埋納された、
その数5万点余りにのぼる兵士及び馬をかたどったものです。
「兵馬俑」とは、古代中国で死者を埋葬する際に
副葬された俑のうち、兵士及び馬をかたどったものを指し、
秦の始皇帝の陵墓の周辺に埋納された中国の世界遺産
「兵馬俑」はその代表的なものといえます。
中国・西安市より東へ35キロメートル、
驪山(りざん)の北の秦始皇帝陵に隣接する形で存在します。
世界遺産とは、1972年のユネスコ総会で採択された
「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」に基づき、
人類が共有し普遍的な価値、後世に残す意味を持つものを指します。
中国の「兵馬俑(へいばよう)」は、秦の始皇帝陵の一部として
1987年に「文化遺産」として登録されました。
「兵馬俑」は、1974年、始皇帝陵から東へ1.5Kmほどの地点で
地元農民が井戸を掘ろうとして偶然見つけたのがきっかけでした。
この地域の住民の話を総合すると、この「兵馬俑」の存在は、
以前から水を枯らす化け物等として、薄々知られていたようです。
この発見によって、地下に2000年もの長きに渡り眠っていた、
「兵馬俑」が遂に日の目を見ることとなったのです。
発掘された兵馬俑の人馬像の造りの精巧さなどからは、
始皇帝の偉大さと権力の絶大さを窺い知ることができます。
「銅車馬坑」や「兵馬俑(埴輪)坑」など、
これまでに5万点余りもの出土品が発見されました。
また、兵士の俑にはどれ1つとして同じ顔をしたものはないこと、
秦の軍隊がさまざまな民族の混成部隊であったこと、
かつての秦の敵国のあった東方を向いて置かれて編成されていたこと、
など、人々を驚かせるような事実が次々に明らかとなっています。
最近では兵馬俑の眠る始皇帝陵の陪葬墓から出土した人骨が
ペルシャ系のDNAと同じ特徴を持つ男性の骨と分析結果が出ました。
始皇帝陵の最も広い1号墓からは戦車なども発掘され、
それ以外にも、統帥部と考えられている2号墓、3号墓があり、
整然と並ぶ数千体もの人馬の群れは世を驚愕させ、
見る側を圧倒させる壮大な迫力があります。
兵馬のみならず宮殿の実物大のレプリカや、
文官や芸人等の傭も発掘されていることから、
来世へと旅立った始皇帝を守るべく配された軍隊
と思われていた兵馬俑は、生前の始皇帝の生活そのものを
来世に持って行こうとしたものでもあった
ということを暗示しているようです。
兵馬俑は、俑に彩色された顔料が酸化することを防止できないことから、
現在は事実上、発掘は停止された状態にあるようです。
発掘された兵馬俑は、博物館で公開されていますので、
是非、この壮大な兵馬俑群をこの目で見てみたいものですよね。
ちなみに、兵馬俑発掘のきっかけとなった井戸を掘った住人は、
兵馬俑博物館の名誉副館長となっているそうです。
日本の兵庫県姫路市の太陽公園では、秦始皇兵馬俑博物館において
発掘された兵馬俑をそっくりそのまま再現して
一般公開されていますので
日本においても本場の兵馬俑の姿をうかがい知ることができます。

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万里の長城は北京から約75キロで車で所要約1時間20分


万里の長城といえば、中国を代表する歴史的遺産として有名で
首都北京から訪問可能なことから、中国を代表する観光地として
観光客に人気の観光スポットにもなっています。
中国の世界遺産・万里の長城は、中国の代表的な世界遺産であり、
現存する主要な部分だけでも 約3,000km、
総延長距離12,000kmにも及び、宇宙からも見えるといわれる
巨大な世界遺産なのです。
世界遺産とは、1972年のユネスコ総会で採択された
「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」に基づき、
人類が共有し普遍的な価値、後世に残す意味を持つものを指します。
中華人民共和国の世界遺産「万里の長城」遺跡は、
1987年に世界遺産の中の「文化遺産」として認定されました。
万里の長城は、河北省、北京市、山西省、陝西省、
内モンゴル自治区、寧夏回族自治区、甘粛省まで至る
広範囲に渡る巨大で長大な城壁です。
万里の長城の城壁は、一般には秦の始皇帝が造ったされていますが、
世界遺産で知られる現在の姿の「万里の長城」は、
明代(1368年〜1644年)に作られたと言われています。
始皇帝の時代の長城は土製で、馬や人が乗り越えられなければ良いと、
当時はまだ今のような高い城壁では造られていませんでした。
その後、中国人の明王朝がモンゴル人の元王朝を北方の草原へ追放し、
明は領土防衛のため長城を強化し、現在の形になったのです。
「万里の長城」は「農耕民族と遊牧民族の境界線」と言われていますが、
紀元前7世紀の建築開始から、明代後期の紀元1600年ごろまでの、
およそ2000年の長い歳月をかけて、ほぼ現在の形になりました。
長城建築の歴史は、戦争を繰り返してきた中国の王朝史を象徴し、
また明代の建築技術の高さをも伝える「文化遺産」なのです。
北京近郊には万里の長城のほかに、
「北京と瀋陽の明・清朝の皇宮群(北京故宮など)」
「天壇:北京の皇帝の廟壇」「頤和園:北京の皇帝の庭園」
「周口店の北京原人遺跡」
「明・清朝の皇帝陵墓群(明の十三陵など)」
などの世界遺産があります。

万里の長城へは、北京から車で行くことができます。
長城の1つである八達嶺長城は北京から約75キロで車で所要約1時間20分。
北京からアクセスしやすいこともあり中国で人気の観光スポットです。
北京を訪れた際は是非、万里の長城にまで足を伸ばし、
明朝の権力の象徴ともいえる万里の長城の威容を見てみたいものです。

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アンコールワットの写真撮影は午後に観光へ訪れること


カンボジアといえばアンコールワットというくらい、
アンコールワットはカンボジア観光の目玉ともいえるものです。
カンボジアの貴重な歴史的財産である世界遺産・アンコールワットは、
大伽藍と美しい彫刻からクメール建築の傑作と称えられ、
カンボジア国旗の中央にも同国の象徴として描かれています。
世界遺産とは、1972年のユネスコ総会で採択された
「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」に基づき、
人類が共有し普遍的な価値、後世に残す意味を持つものを指します。
カンボジアの「アンコール・ワット」と「遺跡群」は、
1992年に世界遺産としての「文化遺産」に登録されました。

アンコールワットは、12〜13世紀にカンボジア王朝の象徴として、
スーリヤヴァルマン2世によって建造されました。
当時栄えたアンコール王朝の都城であり、ヒンドゥー教最大の寺院です。
アンコール・ワットとは「大きな寺」という意味で、
環濠を含む大きさは東西約 1,500m、南北約 1,300mもあります。
「アンコールワット」に施された彫刻は、インドの影響を強く受け、
ヒンドゥー教と仏教の融合文化の「クメール文化」を表すレリーフが
廊下や壁に施されています。
回廊のレリーフは「陸と山」、周囲の堀のものは「海」を表しています。
また、アンコール遺跡群のひとつ「アンコール・トム」の
巨大な5つの城門も歴史的価値が高いとされ、
世界一長大な浅浮彫や、
巨大な彫刻「バイヨンの微笑み」が特に有名です。
802年に創設され1113年に完成した世界最大の宗教建築「アンコール」は、
クメール・ルージュによる仏像や寺院の破壊など、
戦争に翻弄され続けたという過酷な歴史を刻んでいます。
現在では平和を取り戻し、国際支援による保護・修復作業が
今なお、続けられているところです。

アンコールワットはカンボジアの首都プノンペンからは
飛行機で約40分、高速ボートで約6時間、バスで約10時間かかる
シェムリアップ市の郊外にあります。
この中では高速ボートが飛行機の約半額以下と安く、
所要時間も約6時間とかろうじて許容範囲内なので、
旅費を節約したい人に人気のようですが、この高速ボートは
乗り心地が最悪で、絶対にお勧めできないという口コミが多いです。
旅費を節約したいなら時間はかかってもバスを利用しましょう。
アンコールワットは、夜明けの早朝にブルーの空に浮かび上がる
アンコールワットの黒いシルエットの風景が素晴らしく幻想的だ
といわれていますが、その姿を見るためには、
シェムリアップ市を朝5時頃に出る必要があります。
ただし、アンコールワットは西を正面として建っているため、
午前中に写真を撮ると逆光になってしまいます。
従って、写真撮影の点からは午後の観光が好まれています。

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タージマハルには最愛の王妃の面影を偲ぶ皇帝の想いが


インドといえばタージマハルとイメージされるくらいに
インドの世界遺産・タージマハルはインドを象徴する古代遺跡です。
インドの世界遺産・タージマハルは、インド北部アーグラにあり、
世界でもっとも美しい霊廟と賞される総大理石造の墓廟建築で、
インド=イスラーム文化の代表的建築物です。
世界遺産とは、1972年のユネスコ総会で採択された
「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」に基づき、
人類が共有し普遍的な価値、後世に残す意味を持つものを指します。
世界遺産は「文化遺産」、「自然遺産」、「複合遺産」、
「危機遺産」の4つに分類されています。
「文化遺産」は、優れた普遍的価値をもつ建築物や遺跡など
「自然遺産」は、優れた価値をもつ地形や生物、景観をなどもつ地域
「複合遺産」は、文化と自然の両方を兼ね備えるもの
「危機遺産」は、後世に残すことが困難で、
原爆ドームやアウシュビッツ収容所など「負の遺産」と言われているもの
をそれぞれ指しています。
インドのタージマハルは、1983年に「文化遺産」に認定されました。
ムガル帝国の第5代皇帝シャー・ジャハーン(在位1628〜1658)は
王妃アルジュマンド・バーヌー・ベーガムを溺愛しており、
第4代皇帝ジャハーンギールは、その第5代皇帝王妃を
「ムムターズ・マハル」(宮廷の選ばれし者)と名づけました。
ムムターズ・マハル王妃は14人もの子供を生みますが、
やがて皇帝より早く36歳の若さで死去してしまいます。
シャー・ジャハーン皇帝は王妃の死を深く悲しみ、
王妃の記憶を永遠に留めるために、王妃の墓廟として
タージマハルが建てられたのです。
それがインドを代表する世界遺産「タージマハル」で、
「タージマハル」という名前は、
皇后の名「ムムターズ・マハル」から変化し
「宮廷の冠」という意味を持つ言葉です。
「タージマハル」の建築は1632年に着手され、
2万人もの職人により22年の歳月をかけて造られました。
全てが白大理石で、細かい彫刻が至る所に施されています。
また、左右対称で均整がとれ、
ムガル建築としての伝統を引き継ぎ昇華させた廟建築です。
敷地は17ヘクタールで、その庭園の中央の池に白大理石の映る廟は、
とても幻想的で美しく、当時の年代記に
「その偉容と美しさは、天上の七つの楽園をも凌ぐ」と記されています。
皇帝はヤムナー川の対岸に自らの霊廟を黒大理石で造り、
タージ・マハルと橋でつなぐ計画であったと言います。
しかしシャー・ジャハーン皇帝は三男によってアーグラ城に幽閉され、
その夢を果たすことはできませんでした。
シャー・ジャハーン皇帝はタージ・マハルを毎日眺めては
涙を流して過ごしたという悲しい言い伝えもあります。
タージ・マハルには現在、年間400万人(うち外国人は20万人)もの
観光客が訪れるなど賑わいを見せています。
環境保護のため付近への車両の乗り入れが禁止されており、
駐車場から入口までは歩くか電動自動車に乗り換えねばなりません。
また、保安上の理由で大きな荷物は入口で預ける必要があります。
シャー・ジャハーンは今、最愛の王妃ムムターズ・マハルとともに、
タージ・マハルに眠っています。
最愛の王妃とともに永眠することが叶った皇帝の想いを胸に、
タージ・マハルを訪れてみるのもロマンがあっていいですよね。

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