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「北のベニス」サンクト・ペテルブルグ歴史地区と関連建造物群


サンクト・ペテルブルグは、ロシア西部、バルト海のフィンランド湾最東端の
ネヴァ川河口デルタに位置するロシア有数の港湾都市で、
鉄道・国際航路の要衝でもあるロシア第2の都市です。
第一次世界大戦以降(1914年〜1924年)はピョートル大帝にちなみペトログラード、
ソ連時代(1924年〜1991年)はレーニンにちなんでレニングラードと呼ばれており、
レニングラードという名前の方が馴染みがある方も多いでしょう。
サンクト・ペテルブルグは200年間にわたるロシア帝国の首都としての歴史を持ち、
10月革命後にレーニン率いるソビエト政府が誕生した場所として、
ロシアの歴史上で重要な位置付けを持つ都市なのです。
そのような歴史的背景から、サンクト・ペテルブルグには、
ロシアの歴史を象徴する建造物群が多数建立されており、
18〜19世紀のバロック、クラシック様式の建造物が建ち並ぶ街並みは
サンクト・ペテルブルグ歴史地区と関連建造物群として世界遺産登録されています。
中でも代表的な建造物が、所蔵品約300万点にのぼるといわれる
ロシア最大、世界でも屈指の規模を誇るエルミタージュ美術館です。
エルミタージュ美術館は、宮殿海岸通りに並ぶ冬の宮殿(1754〜62年)と、
小エルミタージュ(1764〜75年)、旧エルミタージュ(1771〜87年)、
エルミタージュ劇場(1783〜87年)、新エルミタージュ(1842〜51年)の
4つの建物が廊下で結ばれているという広大な敷地の巨大な美術館で、
400を数える展示室の全てを見て回ると、その行程は22kmにも及ぶため
毎日8時間を費やしたとしても収蔵コレクションの全てを見るためには
15年以上という気の遠くなるような年月がかかるといわれています。
まさに広大な国土と強大な勢力を誇ったロシア帝国の伝統を感じる美術館
というった感じがしますが、この膨大な収蔵コレクションの数々を
一体どのようにして管理しているのか?と他人事ながら心配になってしまいます。
サンクト・ペテルブルグは街のいたる所に運河が流れる光景から、
「北のベニス」とも呼ばれる美しい都市でもあります。
白夜の季節になると歴史的建造物の真白な建物が輝いて
その美しさがいっそう映えるといわれており、
旅行代理店のツアーなどでも、白夜に映える街並みと
世界遺産サンクト・ペテルブルグ歴史地区と関連建造物群を楽しむ
というツアーが企画され人気のようです。
また、サンクト・ペテルブルグはオーケストラも有名で、
かつてはエフゲニー・ムラヴィンスキー率いるレニングラードフィルが
透徹した響きと完璧なアンサンブルで音楽ファンを魅了したものです。
ロシアの歴史ある宮廷文化の香りを感じさせるサンクト・ペテルブルグに
是非、訪れて伝統あるヨーロッパ文化の香りを感じてみたいものです。

ランスのノートルダム大聖堂、サン=レミ旧大修道院、トー宮殿について


世界遺産登録されているフランスのノートルダム大聖堂は数多くありますが、
その中でパリから東北東約130キロに位置する街
ランスにある大司教座聖堂が、ランス・ノートルダム大聖堂です。
「ランスのノートルダム大聖堂、サン=レミ旧大修道院、トー宮殿」が
世界遺産登録名称であるように、
三つの建造物が世界遺産登録されています。
ランス・ノートルダム大聖堂はゴシック建築の傑作として名高く、
ファサード部の彫刻、彫像の美しさに定評がある
ゴシック様式の代表的な大聖堂です。
ランスのノートルダム大聖堂は
歴代フランス国王の戴冠式が行われたことでも有名です。
サン=レミ旧大修道院は、
西暦1000年頃に建てられたといわるバシリカ式の教会堂で
ロマネスク様式の建造物です。通称「サン=レミ聖堂」と呼ばれています。
トー宮殿は、1498年から1509年頃に建てられた大司教のための館で、
平面図がT字型をしていたことから
ギリシャ文字のτ(タウ)の名にちなんで名づけられた
というのがトー宮殿の名前の由来と言われています。
トー宮殿は大司教の館として建設され、
国王戴冠式の際の国王の御座所としても使われましたが、
現在は大聖堂に関わる品々などを展示する国立博物館となっています。
この三つの建造物からなるフランスの世界遺産
「ノートルダム大聖堂、サン=レミ旧大修道院、トー宮殿」は、
フランスの世界遺産の中でも人気のあるスポットのひとつです。
「ノートルダム大聖堂、サン=レミ旧大修道院、トー宮殿」の所在地である
ランスはフランス北部シャンパーニュ=アルデンヌ地域圏マルヌ県にあり、
パリからの所要時間は急行で1時間40分。
2007年6月に開通したLGV東ヨーロッパ線の利用で
パリからの所要時間は約45分の距離です。
2010年にはランス市内に路面電車の開通が予定されており、
ノートルダム大聖堂を擁する市内の景色も
一層情緒あふれるものになるのではないでしょうか。

ノートルダム寺院一覧|ノートルダム大聖堂は一か所ではない


フランスの世界遺産としても有名なノートルダム寺院。
ノートルダム寺院といえば、ヴィクトル・ユーゴーの小説
『ノートルダムのせむし男』としても知られるフランスの大聖堂ですが、
実はノートルダム寺院は一か所ではなく、多数存在しています。
ノートルダム (Notre-Dame, 英語ではOur Lady) は
フランス語で「私達の貴婦人」という意味で、
聖母マリアを指していることから、聖母マリアを祀る寺院として
ノートルダムを冠した教会堂は、
世界各地のフランス語圏の都市に建てられてきたのです。
例えとして適切かどうかはわかりませんが、
日本では神社でいえば「氷川神社」とか、
お寺でいえば「薬師寺」のような存在だと考えれば
分かりやすいかもしれませんね。
ヴィクトル・ユーゴーの小説
『ノートルダムのせむし男』で有名なノートルダム寺院は
「ノートルダム・ド・パリ」という呼称でも知られる
パリのノートルダム大聖堂で、
ユネスコの世界文化遺産「パリのセーヌ河岸」の一部として
位置付けられています。
現在もパリ大司教座聖堂として使用されている
パリのノートルダム大聖堂は、1804年12月2日に
ナポレオン・ボナパルトの戴冠式が行われた場所でもあります。
世界遺産として登録されている「パリのセーヌ河岸」の登録対象地域は、
パリ中心部のセーヌ川の川岸のうち、
シュリー橋からイエナ橋までのおよそ8kmほどであり、
これには、中州であるシテ島とサン・ルイ島、
および区域内に架かる橋も含まれています。
小説『ノートルダムのせむし男』で有名なノートルダム大聖堂は
シテ島にあるため、「シテ島のノートルダム大聖堂」とも言われています。
パリの世界遺産「パリのセーヌ河岸」には、この他にエッフェル塔など
近・現代建築群の観光名所としてもよく知られた建築群が含まれていますので、
パリ観光の際は外せない観光スポットといってもいいでしょう。
ちなみに、世界遺産登録されているノートルダム大聖堂は、パリ以外でも
ランス、シャルトル、アミアン、ストラスブール、
ドン(アヴィニョン)、ル・ピュイと多数ありますので、
ツアーを選ぶ際は間違えないようにしてください。
フランス全土のノートルダム大聖堂を巡る旅という旅の企画も
面白いかもしれませんね。

【フランス語圏のノートルダム寺院一覧】
[カテドラル(大聖堂、司教座聖堂)]
ノートルダムに献堂された主なカテドラル(大聖堂、司教座聖堂)
『フランス 』
ノートルダム大聖堂 (パリ)
「ノートルダム・ド・パリ」「シテ島のノートルダム大聖堂」という呼称でも知られ、
ヴィクトル・ユーゴーの小説「ノートルダムのせむし男」の舞台にもなっている。
ユネスコの世界文化遺産「パリのセーヌ河岸」の一部。
ノートルダム大聖堂 (ランス)
ランスにある大聖堂で、ユネスコの世界文化遺産として
「ランスのノートルダム大聖堂、サン=レミ旧大修道院、トー宮殿」の名称で、
三つの建造物が登録されている。歴代フランス王の戴冠式が行われた大聖堂。
ノートルダム大聖堂 (シャルトル)
「シャルトル大聖堂」の名で、ユネスコの世界文化遺産に登録されており、
「シャルトルの青」と呼ばれるステンドグラスが有名な大聖堂。
ノートルダム大聖堂 (アミアン)
世界文化遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の一部であり、
「アミアン大聖堂」の名でも、ユネスコの世界文化遺産に登録されている。
ノートルダム大聖堂(ルーアン)
シャルトル、アミアンの両大聖堂とともに北フランス三大大聖堂と呼ばれるが、
世界遺産未登録である。 北仏の都市ルーアンにある大聖堂。
ノートルダム大聖堂(ストラスブール)
精巧な天文時計が有名な大聖堂。世界文化遺産「ストラスブールのグラン・ディル」に含まれている。
ノートルダム・デ・ドン大聖堂(ドンのノートルダム大聖堂)
世界文化遺産「アヴィニョン歴史地区」に含まれており、
アヴィニョンのドン岩壁公園に隣接する大聖堂。
ノートルダム大聖堂 (ル・ピュイ)
世界文化遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の一部として登録されている、
ル・ピュイ=アン=ヴレにある大聖堂。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のうち、ル・ピュイの道の起点となった。
『 ベルギー 』
ノートルダム大聖堂(アントウェルペン)
世界文化遺産「ベルギーとフランスの鐘楼群」のひとつとして登録されており、
日本では『フランダースの犬』に登場する教会としても知られている。
飾られているピーテル・パウル・ルーベンスの絵画で有名な大聖堂。
ノートルダム大聖堂 (トゥルネー)
世界文化遺産に「トゥルネーのノートルダム大聖堂」の名称で登録されている。
ノートルダム大聖堂 (ブルッヘ)
ミケランジェロ作の聖母子像が保管されていること、また、
シャルル突進公とその娘・マリーの棺が安置されていることで有名である。
ブルッヘ(ブリュージュ)にあり、122mの高い尖塔が町のシンボルとなっている。
『ルクセンブルク』
ノートルダム大聖堂 (ルクセンブルク)
世界文化遺産「ルクセンブルク:その古い街並みと要塞群」に含まれている。
『 カナダ 』
ノートルダム大聖堂 (ケベック)
世界遺産「ケベック歴史地区」に含まれている大聖堂で、
正確にはBasilique-cathedrale Notre-Dame de Quebecという。

[バシリカ(教会堂 Basilique) ]
ノートルダムに献堂された主なバシリカ式教会堂(Basilique)
『 フランス 』
ノートルダム大聖堂(フルヴィエール)
世界文化遺産「リヨン歴史地区」に含まれるリヨンのフルヴィエールの丘の上にたつ教会。
ノートルダム大寺院(レピーヌ、マルヌ県)
世界文化遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に含まれる教会。
ノートルダム・デュ・ロゼール大聖堂(ルルド)
聖母の出現があったとされるルルドで、聖母出現にちなんで建てられたバシリカ
(「デュ・ロゼール」は「ロザリオの」の意味)。
ノートルダム・ド・ラ・ガルド大聖堂(マルセイユ)
南仏の大都市マルセイユにあるバシリカ。
『カナダ 』
モントリオール・ノートルダム聖堂
モントリオールにある 北米最大のカトリック教会。

[教会(eglise)]
ノートルダムに献堂された主な教会 (eglise)
『フランス 』
ノートルダム=デュ=ポール教会(クレルモン=フェラン)
世界文化遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に含まれる教会。
ノートルダム=アン=ヴォー教会(シャロン=アン=シャンパーニュ)
世界文化遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に含まれる教会。

天使ミカエルが舞いおりた奇跡の島「モンサンミシェルとその湾」


フランスの世界遺産といえば、湾の干潟が海に沈む美しい光景が人気の
モンサンミシェルが有名ですね。
モンサンミシェルの正式表記はモン・サン=ミシェル(Mont Saint-Michel)ですが、日本では「モンサンミッシェル」といわれることも多いようです。
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されているのは、正式には
「モンサンミシェルとその湾」であり、ラムサール条約登録地でもあります。
「モンサンミシェルとその湾」は
フランス北西部のノルマンディー地方にあり
ブルターニュとの境に近いサン・マロ湾に位置しています。
サン・マロ湾はヨーロッパでも潮の干満の差が最も激しい所
として知られており、潮の満ち引きの差は15メートル以上あります。
そのため、干潮時は広い範囲にわたって干潟になっており、
その中に突然あらわれる高い塔をもったモンサンミシェル修道院と、
その周囲に所狭しと建っている建物からなる特徴ある光景は、
海上のピラミッドという名前も付けられているくらいです。
フランスの世界遺産として「モンサンミシェルとその湾」
と名付けられているとおり、
これら建造物群と周囲の湾も含めて世界遺産として認定されています。
フランスの世界遺産モンサンミシェルとその湾の干潟が海に沈むのは
潮位の関係で毎年二回、春と秋のシーズンといわれ、
干潟が海に沈みモンサンミシェルの建つ島が湾内に浮き上がった姿は、
素晴らしい絶景といわれています。
その見事な眺めから、フランスの世界遺産モンサンミシェルは、
天使ミカエルが舞いおりた島ともいわれており、
「奇跡の島」という名前も付けられているほどの場所なので、
中世から現代にわたり、多くの巡礼者が詰めかけています。
フランスの世界遺産「モンサンミシェルとその湾」の美しい風景は、
古くから多くの画家の手で作品として残されていますし、
写真やTV番組などで目にした方も多いでしょう。
フランスの世界遺産「モンサンミシェルとその湾」の素晴らしさは、
とても言葉で語りつくせるようなものではなく、その美しさは
実際に現地で見た人にしかわからないとも思います。
フランスの世界遺産「モンサンミシェルとその湾」は、
自然の美しさと人口建造物の絶妙な組み合わせを目の当たりにできる
とても素晴らしい貴重な場所として今も多くの人が毎年訪れています。
フランスの世界遺産「モンサンミシェルとその湾」の魅力は
とても一言で語りつくせませんので、
フランス旅行の際は、古くより多くの人々を魅了してやまない
フランスの世界遺産「モンサンミシェルとその湾」を
是非、ご自分の目で確かめ、瞼の裏に焼きつけてきてください。

アルタミラ洞窟壁画は人類史上最高水準の絵画表現でピカソも絶賛


スペインの世界遺産アルタミラ洞窟は、
ユネスコの世界遺産であるアルタミラ洞窟壁画で知られる洞窟です。
アルタミラ洞窟壁画は、旧石器時代末期に描かれた
野牛、イノシシ、馬、トナカイなどの動物を中心とする壁画ですが、
学生時代の歴史の教科書や資料などでも良く目にしたものです。
その当時は、何か自分とは関係ない世界の話だと感じていましたが、
海外旅行が当たり前の時代となった今、自分がその気になれば、
かつては本や写真だけの世界だったスペインのアルタミラ洞窟へも
出かけていくことができるなんて、感慨深いものがあります。

スペインの世界遺産アルタミラ洞窟は、
スペイン北部カンタブリア州の州都サンタンデルから
西へ30kmほどに位置するサンティリャナ・デル・マールという
人口約4.000人の小さな町の高台にある洞窟です。
アルタミラ洞窟の長さは約270mほあり、
少なくとも930の壁画が現存しているといわれています。
アルタミラ洞窟は1985年に世界遺産に登録された文化遺産で、
人類の歴史はアルタミラ発見を分水嶺として、
それ以前とそれ以降に区分できる、とまで云われるほどの、
人類の歴史を語る上での貴重な遺産なのです。

世界遺産アルタミラ洞窟壁画は、先史ヨーロッパ時代の区分で
主にマドレーヌ期(約18,000年〜10,000年前)と呼ばれる
旧石器時代末期にクロマニョン人によって描かれた
野牛、イノシシ、馬、トナカイなどの動物を中心とする壁画で、
人類最初の芸術作品とも言われています。
壁画には、ソリュートレ期に属する約18,500年前頃のものと、
マドレーヌ期前期頃の約16,500年前〜14,000年前頃のもの
の双方がが含まれています。
とくに、入り口から30mほどの所にある「大広間」とよばれる
部屋の天井に描かれた絵は圧倒的な迫力を誇っています。
イノシシ、バイソン、馬などの動物が描かれた天井画の
その確かなデッサン力、色彩対比、ぼかしや線刻、巧みな陰影処理
など、その絵画表現は人類の歴史上最高水準のものとされ、
「第4紀(旧石器時代の別称)美術のシスティナ礼拝堂」として
巨匠ミケランジェロの大傑作に比べられて称され、
また、あの巨匠ピカソをして、いささかの羨望を込めて
「我々のうち、誰1人としてこのように描くことはできない」
と告白させるほどの素晴らしい出来栄えの壁画なのです。
アルタミラ洞窟壁画の発見以前は、旧石器時代といえば、
人間はまだ本能以上のものはほとんど持っていなかっただろう
と推測されていたため、この壁画発見は想像を絶する出来事でした。

世界遺産アルタミラ洞窟壁画は、今から約13,000年前、
落石によって洞窟の入り口が閉ざされたことにより壁画が封印され
状態の良い当時のまま保存されることになりました。
1879年にこの地の領主ソウトウラの5歳の娘マリアによって
アルタミラ洞窟壁画は偶然発見され、現代によみがえったのです。
しかし、観光ブームによって世界遺産アルタミラ洞窟の中の絵は、
痛みがひどくなっているので、現在は公開されていません。
そのかわりに同じ敷地内に洞窟丸ごとのレプリカを作り、
アルタミラ博物館として2001年にオープンしました。
全世界に下記の3箇所にレプリカが存在します。
アルタミラ博物館(現地)
国立考古学博物館(スペイン、マドリード)
ハビエル城博物館(三重県志摩市の複合リゾート施設
「志摩スペイン村」のテーマパーク「パルケエスパーニャ」内)

一般的には知能や文化の発達していない原始人扱いをされる
旧石器時代のクロマニョン人ですが、アルタミラ洞窟壁画を見ると
芸術表現という素晴らしい感性や、それをイメージ化できる
素晴らしい絵画技法を持っていたことがわかります。
古代文明ということばすらなかった旧石器時代に、
人々が何を考えどのような生活を送っていたのかに思いを馳せながら
スペイン北部カンタブリア州のアルタミラを訪れてみるのも
ロマンがあっていいと思います。

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スペインの世界遺産アルハンブラ宮殿は輝かしいイスラムの遺産


アルハンブラ宮殿といえば、
クラッシクギターの名手タルレガが作曲した
トレモロ奏法で有名な名曲『アルハンブラの思い出』 や、
アメリカの作家ワシントン・アーヴィングの『アルハンブラ物語』
という紀行文学などで世界に名の知られている宮殿です。
アルハンブラ宮殿はスペインの世界遺産を代表する壮麗な宮殿都市で、
スペイン・グラナダ市南東に連なる丘の上に位置していますが、
アルハンブラ宮殿のある場所は、夏場非常に暑いと言われる
グラナダの中でも涼しく過ごしやすい場所といわれています。

異なる時代に建てられた様々な建築物の複合体アルハンブラ宮殿は
建てられた時代により、建築様式や形状などが異なっています。
アルハンブラ宮殿の原形は、9世紀末の後ウマイヤ朝末期に存在していた
アルカサーバと呼ばれる砦だといわれています。
その後、13世紀に入り、イベリア半島最後のイスラム王国で、
グラナダを首都としたムスリム政権のナスル朝時代に
宮殿は大きく拡張され、現在のアルハンブラ宮殿の姿が形成されました。

アルハンブラとは、アラビア語の「アル・ハムラー(赤いもの)」
から来る言葉で、「赤い城」という意味です。
アルハンブラ宮殿の建物は白を基調した建物なのに、
なぜアル=ハムラ(赤色)と呼ばれているのか、
については諸説ありますが、アルハンブラ宮殿増築の時、
夜を通してかがり火を燃やして工事したため、
グラナダ平野から見上げた宮殿が赤く染まって見えからだ、
という説が一般的に通用しているようです。

スペインの世界遺産アルハンブラ宮殿の見所は、非常に多いものですが、
中でも、王宮、アルカサバ(城塞)、カルロス5世宮殿、
ヘネラリーフェ離宮などが有名です。
1984年には「グラナダのアルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮、
アルバイシン地区」が世界文化遺産に登録されています。
王宮は、宮殿北側に位置していますが、
王宮の内部は、かつて「閉ざされた楽園」と呼ばれていたように、
宮殿の質素な外観と比べ、水と光と木々ときらびやかな装飾に満たされ、
まさに王宮の名にふさわしい豪華さを誇っています。
各部屋がパティオ(中庭)を取り囲んでいて、
宮殿の中で最も有名な「ライオンの中庭(パティオ)」は、
124本の大理石の細い列柱が立ちならぶ回廊に囲まれ、
12頭のライオンが中庭の水盤を支えています。
そのライオンの姿は、威厳も恐ろしさも感じられない可愛いもので、
今はすっかり年老いてしまった愛くるしいライオン像です。

この 「ライオンのパティオ(中庭)」は、
実は王の寵愛を受けていた女性たちのハーレムだったのです。
日本でいえば大奥のようなもの、といったらいいでしょうか。
大奥といえば、宮崎あおいさんが主演しているNHK大河ドラマ
篤姫が大変な人気となっていますが、洋画などでも、
ハーレムを舞台や題材にしたものは以前から多いので、
古今東西を問わず人間の欲望や興味を刺激するテーマなのでしょう。

アンダルシア地方に位置するグラナダは、シエラネバダ山脈の麓にあり、
800年もの間、栄華を誇ったイスラム教国の異国情緒あふれる文化が
今も色濃く残る街として知られています。
スペインは、カトリック教会側がレコンキスタの過程でイスラム文化を
払拭(浄化)することにより建国された国家ですが、
現在のスペイン文化のアイデンティティは、実はその多くが
イスラムに負っているという現実があります。
アルハンブラ宮殿が
スペインに屈服させられたイスラム教徒の宮殿である
ということは、スペインを訪れるイスラム教徒にとっては、
アルハンブラはイスラム=スペイン(アル=アンダルス)の象徴であり、
イスラムの支配と信仰が砕かれてもなおスペインに残った
輝かしいイスラムの遺産である、
という象徴的な意味を持っているのです。

そのような歴史の流れと人々の心情に想いを馳せながら
クラッシクギターの名曲『アルハンブラの思い出』の紡ぎだす
アルハンブラ宮殿の情景を、是非ともしっかりと
脳裏に刻んでみたいものです。

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世界遺産ケルン大聖堂の展望台は高所恐怖症の人は要注意?


ドイツの世界遺産ケルン大聖堂は、
世界最大のゴシック様式の大聖堂です。
フランスの大聖堂を手本にして建てられたというケルン大聖堂は、
ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州の都市
ケルン(Köln)にあり、ケルン市のシンボルとなっています。
現存する世界遺産ケルン大聖堂は、ケルン大聖堂としては三代目です。
初代のケルン大聖堂が完成したのは4世紀で、当時は正方形の建物で
最も古い聖堂として知られていました。
2代目のケルン大聖堂は818年に完成し、
12世紀後半に東方三博士の聖遺物がおかれたことで多くの巡礼者を集め、
ケルンの発展に貢献しましたが
1248年の4月30日に火災により消失しました。
現存する3代目のケルン大聖堂の建設が始まったのは、
2代目のケルン大聖堂が消失した年である1248年で
完成したのは1880年のことです。


ケルン大聖堂の正式名称は、
ザンクト・ペーター・ウント・マリア大聖堂
(Dom St. Peter und Maria)といい、
1996年、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。
周辺の高層建築物計画による景観破壊の危機から、
2004年には危機遺産に指定されましたが、
大聖堂の周囲に高さ規制を敷くなど市当局の懸命な努力により
2006年に危機遺産指定は解除されました。
ケルン大聖堂は、建造物そのものに備わっている格別の価値とともに、
ヨーロッパに脈々と続くキリスト教信仰の証としての価値が
世界に高く評価されているのです。

ケルンの中央駅を降りると、
目の前にケルン大聖堂がそびえたっています。
垂直志向で積み上げられたツインタワーの高さは157m。
石材のゴシック建築技術を駆使した複雑な構成の身廊(ドーム)は
高さも46mに達し、その威容は大聖堂を訪れる人たちを圧倒します。
100本以上の支柱が極度な急傾斜を描く丸天井の襞を支え、
たくさんの色とりどりのステンドグラスを通って
美しい光が射し込みます。
13世紀後期ロマネスク様式の一連のステンドグラスは、
旧約聖書、新約聖書の物語を題材にとったものとして有名です。
ケルン大聖堂はカソリック教会の大聖堂らしく、何組もの美しい祭檀、
数えきれない程の宗教美術品、装飾品が配置されており、
大聖堂自体が世界的なキリスト教美術館として高い評価を受けています。
中でも最も貴重といわれているのは、豪華な金製の東方三博士神殿で、
西洋でも最も重要な聖遺物石棺の中には
東方三博士の骸骨が納められています。

ケルン大聖堂では、南塔にある500段の階段を上れば、
ケルンの街の素晴らしいパノラマ風景を楽しむこともできます。
この鉄パイプでできた階段は、フェンスで覆われているので、
物も人も落ちる心配はありません。
しかし、階段の足元に地上の風景が透けて見えるので、
高所恐怖症の人は相当辛いものがあるようです。
しかしせっかくケルン大聖堂を訪れたのであれば、
是非勇気を出して展望台まで登り
ケルンの街を展望してはいかがでしょうか。

ケルン大聖堂のあるケルンは、ライン川沿いのドイツ有数の大都市です。
ケルンはドイツ最大のカーニバルを行なう観光地としても
人気がありますね。
ケルンはドイツでもっとも古い町の一つで、
町としての起源はローマ帝国の要衝です。
ローマ帝国とゲルマン部族はライン川を挟んで対峙していましたが、
紀元前8世紀頃に和平が成立し、
現在の大聖堂のあたりが定住地となりました。
ケルンは西暦50年にはローマ都市へと昇格し、
巨大な城壁が作られますが、この城壁の遺跡は、
現在でもケルンの街の至る所で見ることができますので、
ケルンを訪れた際は、ケルン大聖堂とともに
城壁の遺跡も探してみてください。
ケルン駅はICEが必ず停まる大きな駅なので、
各地からのアクセスも容易です。

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ポンペイ遺跡では石膏復元した遺体の人型が当時の悲劇を伝える


ポンペイは、1世紀までナポリ近郊にあった都市国家です。
なぜ「あった」というかというと、
79年にヴェスヴィオ火山の大噴火により壊滅し
ヴェスヴィオ火山の大噴火により都市国家ポンペイは79年に壊滅し、
壊滅後は二度と集落が作られることはなかったからです。
現代のポンペイは人口25,751人の
イタリア共和国カンパニア州ナポリ県のコムーネの一つ
となっていますが、その中心部は
壊滅した都市国家ポンペイ古代遺跡とは少し離れています。
ポンペイ遺跡は18世紀に発掘が開始され、
現在は主要な部分が有料で一般公開されています。
イタリアの世界遺産ポンペイ遺跡は、
古代ローマの都市と人々の生活ぶりをほぼ完全な姿で今に伝える
貴重な遺跡として、1997年に世界遺産に登録されました。

ポンペイ(ラテン語:Pompeii イタリア語:Pompei)は、
1世紀までナポリ近郊にあった都市国家ですが、
西暦79年8月24日、
ナポリ湾を見下ろすヴェスヴィオ火山の大噴火により、
火砕流に流され、降り積もった火山灰に埋もれて壊滅してしまったのです。
その後、18世紀に発掘が開始されると、
古代都市ポンペイの様子が、まるで時が止まったかのように
当時の姿のままで出現しました。
大噴火によって、逃げ遅れた人々は、
吹きつけた高熱のガスで窒息死し、
神殿・劇場・浴場・商店・住居などとともに、
一昼夜に渡って降り続けた火山灰の中に埋もれてしまいました。
その後、遺跡が発掘された際、
発掘遺体部分だけが腐ってなくなった部分が
火山灰の中に空洞となっていました。
考古学者たちはここに石膏を流し込むことにより、
火砕流から逃げまどうポンペイ市民が死んだときの形を再現したのです。
そして、その結果、家の中で身を寄せ合う家族、
母親が子供を覆い隠し、火山灰から子供だけでも守ろうとした様子、
互いをかばい合うように抱き合う恋人、
飼われていた犬がもだえ苦しむ様子
などの死の瞬間の姿が再現されることになりました。
この石膏復元した遺体の人型は、一瞬にして平和な日々を奪われた
ポンペイ市民の悲劇を伝える世界遺産として、
ポンペイのマリーナ門近くの博物館に展示されています。

ポンペイ遺跡の主なものは、
広場を囲んで建つアポロン神殿やウェヌス神殿、
剣闘士を闘わせた円形劇場、大小の劇場などの公共施設などで、
アレクサンドロス大王を描いた床モザイク画や
壁画・彫刻などの出土品のほとんどは、
現在ナポリの国立考古美術館に移管されています。
遺跡として発掘されたポンペイの町は、
1世紀の古代ローマ人たちの生きた生活の様子を
そのまま伝えてくれます。
焼いたままのパンや、
テーブルに並べられたままの当時の食事と食器など、
当時の家庭内の生活の様子から、
コイン、クリーニング屋のような職業、貿易会社の存在など、
活気溢れる市民生活をしのぶこともできます。
また、壁の落書きは、当時のラテン語をそのまま伝えてくれますし、
保存状態のよいフレスコ画は、
当時の文化をありのままに現わしています。
それらを見れば、当時のポンペイは
確かにとても活気のある都市だったということがわかるでしょう。
イタリア旅行の際は是非ポンペイ遺跡を訪れ、
当時栄華を誇った古代ローマ人たちの生活文化に
思いを馳せてみたいものですね。

その哀しくもドラマチックなストーリーからか、
ポンペイの壊滅を題材にした様々な作品が作られていますので、
まずはそれらの作品に触れることで、
手軽にポンペイに親しむことができますよ。

映画
ポンペイ最後の日
(1926年、監督:カルミネ・ガローネ、アムレート・パレルミ)
ポンペイ最後の日
(1935年、監督:アーネスト・B・シュードサック)
ポンペイ最後の日(1960年、監督:マリオ・ボンナルド)

絵画
ポンペイ最後の日(1830-33年、ブリュロフ)
ポンペイ(1938年、ポール・デルヴォー)

小説
ポンペイ最後の日
(1834年、エドワード・ジョージ・ブルワー・リットン)
ポンペイの四日間(2003年、ロバート・ハリス)

漫画
NGライフ(2006年- 、草凪みずほ)
拳闘暗黒伝セスタス(技来静也)
 :単行本第11巻〜13巻はポンペイが舞台
サイボーグ009(「時空間漂流民編」に、
      崩壊直前のポンペイからタイムスリップしてきた少女と
      004が出会うエピソードがあります。通称ポンペイ編)
ジョジョの奇妙な冒険(荒木飛呂彦)
      :単行本第51〜52巻に
       ポンペイを舞台にしたストーリーがあります。

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アテナ神殿はイタリアの世界遺産パエストゥム遺跡の中心的建造物


アテナ神殿はイタリアの世界遺産である
パエストゥム遺跡の中心的建造物として有名です。
アテナ神殿を中心とするパエストゥム遺跡は、1997年、
イタリアの世界遺産(文化遺産)として認定されました。
イタリアの世界遺産・パエストゥム遺跡は、
南イタリアのカンパーニャ地方にある平坦な草原に
古代都市として広がっています。
その中にあるアテネ神殿は、
かつてはケレス神殿だと考えられていました。
古代ギリシャでは、
アテナ女神は知恵・学芸・芸術のほかに戦争の女神として、
対するケレス女神は豊作の女神として祀っていました。
神殿の周囲で発掘された遺跡の調査研究の結果、
出土した遺跡の多くは鎧や盾などで武装した女神像だったため、
この神殿は戦争の女神を祀ったアテネ神殿と断定されたのです。

南イタリアのカンパーニャ地方の平坦な草原に広がる
古代都市跡パエストゥムは、
紀元前六世紀前半から五世紀半ばにかけて
ギリシャ植民によって造られた街です。
パエストゥム遺跡にはドーリア式ギリシャ神殿、「ヘラの神殿」、
「アテネ(アテナ)の神殿」、「ポセイドンの神殿」の三つの神殿が
現在もほぼ完璧な形で残っており、古代ギリシア・ローマ時代の
繁栄と栄華を忍ぶことができます。
その中でもゼウスの妻ヘラを祀る「ヘラの神殿」が一番古く、
紀元前550年頃に建設されたと推定されています。
次に古いとされているのがアテネの神殿で紀元前500年頃、
最も新しいとされるポセイドンの神殿でも紀元前450年頃に建てられた
とされているものです。
アテネは戦争の女神であると同時に芸術学問の女神でもあり、
ギリシャの首都アテネの守護神です。

1997年にイタリア世界遺産(文化遺産)に認定された
古代都市跡パエストゥムは、
アテネ神殿などの保存状態もすばらしく、
修復工事を経ているとはいえ、
2500年ほども昔の古代ギリシア時代の建築物が、
今もしっかりと存在されている姿は、
訪れる人を圧倒し、古代人の英知と偉大な創造力を感じさせてくれます。
パエストゥムへはサレルノから列車に乗り
パエストゥムの駅で降ります。
パエストゥム駅前の一本道を歩くと、
信号もない交差点の向こう側に石造りの門シレナ門(サイレン・ゲート)が見えます。
このシレナ門(サイレン・ゲート)をくぐって、更に真っ直ぐ歩けば、
目指すパエストゥムの遺跡にたどり着きます。
古代都市跡パエストゥムでは、シシリアに勝るとも劣らない
見事な古代ギリシャ様式の神殿を堪能することが出来ますよ。

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